Introduction

監督:黒沢 清
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主演:柴咲コウ
時と国境を越えて辿り着く、
完全版“リベンジ・サスペンス”
『岸辺の旅』(15)で第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の監督賞に輝き、『スパイの妻 劇場版』(20)では第77回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞、『Chime』(24)のワールド・プレミアを第74回ベルリン国際映画祭ベルリナーレ・スペシャル部門で行うなど、世界三大映画祭を中心に国際的な評価を次々に獲得し、世界中の映画ファンから熱い視線を浴び続けてきた監督・黒沢清。

『蛇の道』は、そんな黒沢監督が、98年に劇場公開された同タイトルの自作をフランスを舞台にセルフリメイクし、自ら「最高傑作ができたかもしれない」と公言するほどのクオリティで放つリベンジ・サスペンスの完全版である。

8歳の愛娘を何者かに殺されたアルベール・バシュレは、偶然出会ったパリで働く日本人の心療内科医・新島小夜子の協力を得ながら、犯人探しに没頭。復讐心を募らせていく。だが、事件に絡む元財団の関係者たちを拉致監禁し、彼らの口から重要な情報を手に入れたアルベールの前に、やがて思いもよらぬ恐ろしい真実が立ち上がってきて……。

アルベールの復讐に協力する小夜子に扮したのは、黒沢監督からの熱いオファーに応えて出演した柴咲コウ。NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」(17)でタイトルロールを演じ、『君たちはどう生きるか』(23/声の出演)、『ミステリと言う勿れ』(23)などの話題作への出演でも知られる彼女が、撮影の半年前からフランス語の厳しいレッスンに臨み、現地で2ヶ月間、実際に生活をして、パリで暮らす謎多きヒロインを完璧に自分のものにしている。

復讐に燃えるアルベールを演じたのは、第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査員賞に輝く『レ・ミゼラブル』(19/ラジ・リ監督)で、フランスのアカデミー賞とも言われるセザール賞の主演男優賞にノミネートされた注目のフランス人俳優ダミアン・ボナール。さらに、『彼女のいない部屋』(21)などの監督としても知られるフランスの名優、マチュー・アマルリックが、黒沢監督がフランスで初めて撮った『ダゲレオタイプの女』(16)に続いて出演。『ネネットとボニ』(96)などのグレゴワール・コランと小夜子たちに拉致される財団の幹部に扮し、緊張感が支配する本作に独自のユーモアを持ち込んでいるのも見逃せない。

日本からは濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(21)、北野武監督の『首』(23)で世界的に注目を集め、黒沢監督とは5度目のタッグとなる西島秀俊が、心を病んだ小夜子の患者・吉村役で出演。米・アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した『ゴジラ-1.0』(23)、本年24年公開の『犯罪都市 NO WAY OUT』など国境を超えた話題作への出演で勢いに乗る青木崇高が小夜子の夫・宗一郎に扮し、本作の闇を一層深いものにしている。

また、セザール賞受賞歴もある撮影監督アレクシ・カヴィルシーヌはじめ『ダゲレオタイプの女』のスタッフたちが監督たっての希望で再結集しているのも注目のポイント。美しくシャープな本作の切れ味を、より精度の高いものにした。

Story

ジャーナリストのアルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)とパリのとある病院で心療内科医として働く新島小夜子(柴咲コウ)は、高級アパルトマンの1階で、エレベーターから出てきたミナール財団の元会計係ティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック)を襲撃。ガムテープで身体をぐるぐる巻きにし、寝袋に押し込むと、車で郊外の廃墟と化した隠れ家に連れ去り、監禁する。

壁の鎖に繋がれたラヴァルの前に、無言のまま液晶モニターを運んでくるアルベール。スイッチを入れ、そこに少女が微笑むホームビデオが映し出されると、彼はようやく「僕の娘だ。殺された」と重い口を開き、「娘のマリーは財団関係者に拉致された。あなたがやった。そうですね?」と詰め寄る。 だが、ラヴァルは「私はやってないし、何も知らない」と嘯くばかり。イライラを募らせたアルベールは拳銃を彼の頭に突きつけるが、小夜子に「焦らないで。時間はいくらでもあるんだから」と言われ、銃を取り上げられると、ようやく平静を取り戻し、その場を立ち去る。

すると、背後から「後で後悔するぞ」という、脅すようなラヴァルの声が聞こえてきたから、小夜子も黙ってはいない。一瞬の迷いもなく、彼のぎりぎりのところを狙って銃弾を撃ち込むと、鋭い眼差しで「このあたりには誰も住んでいない。いくら叫んでも、助けは来ないわ」と吐き捨てた。

アルベールと小夜子が出会ったのは3ヶ月前。娘の死のショックで精神を病み、小夜子が勤める病院に通院していたアルベールに、「私は 心療内科の医師です。5分ほどよろしいですか」と小夜子が声をかけたのが最初だった。そのときのことを思い出しながら、「結局、君まで巻き込んでしまった。どんなに感謝すればいいか」とアルベール。「いよいよね。ふたりで最後までやり遂げましょう」という小夜子の声にも力が入る。

彼らは本気だった。ラヴァルが「トイレに行かせてくれ」と叫んでも、失禁しても放置し続け、空腹を目で訴える彼の前でプレートに乗った料理をぶちまける酷い仕打ちを続けたのだ。そんなある日、過酷な状況に耐えきれなくなったのか、ラヴァルから驚きの証言が飛び出す。ミナール財団には有志たちが作った孤児院のような児童福祉が目的のサークルがあって、ラヴァルは「集められた子供たちはどこかに売られていったのではないか?子供たちを売買して売れ残ったら始末する、そんなことができる黒幕は財団の影の実力者ピエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)しかいない」と主張したのだ。

だが、鵜呑みにはできない。ラヴァルから聞き出したピエールが潜伏する山小屋に向かったアルベールと小夜子は、猟師と一緒に山から帰ってきた彼を脅し、拘束。ピエールの入った寝袋を引きずりながら、猟師の追撃を振り切るように森林、丘陵地帯を駆け抜け、隠れ家に戻ると、ラヴァルの横の鎖にピエールを繋いでふたりを突き合わせる。するとやがて、彼らの口から、それまでのすべての出来事を覆す衝撃の真実が浮かび上がってきて…。 果たして、アルベールの娘マリーは、誰に、なぜ殺されたのか。事件の思いがけない首謀者とは─。

国境を越えた“徹底的復讐劇”の先に待つ真実とは──

Cast

柴咲コウ
Ko Shibasaki
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」(17)で主演を務め、近年では『沈黙のパレード』『月の満ち欠け』『Dr.コトー診療所』(22)、『君たちはどう生きるか』『ミステリと言う勿れ』(23)などの話題作からヒット作まで多くの映画作品に出演。また、音楽活動では全国ツアー『柴咲コウ CONCERT TOUR 2023 ACTOR'S THE BEST』(23)を開催するなど、俳優、アーティストとして幅広く活躍を続ける。
ダミアン・ボナール
Damien Bonnard
仏俳優。主演を務めた『レ・ミゼラブル』(19)が第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で審査員賞を受賞、第92回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた。また同作で、米アカデミー賞にあたるフランス国内の映画賞、セザール賞主演男優賞にノミネート。その他、『悪なき殺人』(19)、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(21)に出演。
西島秀俊
Hidetoshi Nishijima
主演作品『ドライブ・マイ・カー』(21)が、第74回カンヌ国際映画祭で日本映画史上初となった脚本賞他3賞、第94回アカデミー賞で計4部門にノミネートされ国際長編映画賞に輝く。『劇場版 きのう何食べた?』『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』(21)、『シン・ウルトラマン』(22)、『首』(23)など多くの話題作に出演。黒沢監督とは『クリーピー 偽りの隣人』(16)ほか5度目のタッグとなる。
青木崇高
Munetaka Aoki
NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」(07)で注目を浴び、以降多くのTVドラマや映画で活躍。「鎌倉殿の13人」(22)などのNHK大河ドラマにも多数出演。主な映画出演作品は『るろうに剣心 シリーズ』(12・14・21)、第96回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した『ゴジラ-1.0』(23)、本年24年公開作品は、韓国映画『犯罪都市 NO WAY OUT』、『ミッシング』、第77回カンヌ国際映画祭選出作品『化け猫あんずちゃん』など。
マチュー・アマルリック
Mathieu Amalric
『そして僕は恋をする』(96)でセザール賞有望若手男優賞を受賞、主演作品『潜水服は蝶の夢を見る』(07)がアカデミー賞4部門にノミネートされ国際的な注目を集め、『007 慰めの報酬』(08)では悪役ドミニク・グリーンを演じる。『グランド・ブダペスト・ホテル』(14)、『ダゲレオタイプの女』(16/黒沢清監督)などの注目作に出演する傍ら、監督作『さすらいの女神たち』(10)でカンヌ国際映画祭監督賞、『バルバラ セーヌの黒いバラ』(17)では同映画祭「ある視点」部門ポエティック・ナレーティブ賞を受賞。
グレゴワール・コラン
Grégoire Colin
『ネネットとボニ』(96/クレール・ドニ監督)で主演を務め、ロカルノ国際映画祭最優秀男優賞を受賞。同監督と再タッグを組んだ『美しき仕事』(98)はSight & Sound誌「史上最高の映画」2022年度7位にランクインした幻の名作 。その他、『ビフォア・ザ・レイン』(94)、『七夜待』(08)、『バルバラ セーヌの黒いバラ』(17/マチュー・アマルリック監督)、『天国にちがいない』(19)、『シンプルな情熱』(20)などに出演。

Director

監督:黒沢 清
Kurosawa Kiyoshi
『CURE』(97)で国際的に注目を集め、2001年にはカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品された『回路』(01)で国際映画批評家連盟賞を受賞。その後も『叫』(06)、『トウキョウソナタ』(08)『クリーピー 偽りの隣人』(16)など、世界三大映画祭を始め国内外から高い評価を受け続ける。『岸辺の旅』(15)では第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門・監督賞を受賞、『スパイの妻』(20)では第77回ヴェネツィア国際映画祭・銀獅子賞を受賞。また、今月開催された第74回ベルリン国際映画祭では新作『Chime』が上映、また9月には『Cloud クラウド』が公開される。

Production Note

『蛇の道』をフランスでリメイクした黒沢清監督の思い
フランスの映画制作会社、CINEFRANCE STUDIOSが日本の映画監督との仕事を熱望していることを知った黒沢清監督が、「『蛇の道』をフランスでリメイクしたい」と即答したのが全ての始まりだった。オリジナルの『蛇の道』は、哀川翔と香川照之が共演した1998年のVシネマ(ビデオ映画)の傑作。小学生の娘を殺害され、復讐に燃える宮下(香川)と彼に協力する新島(哀川)の動向を描いたサスペンス・ミステリーだったが、黒沢監督は「高橋洋がオリジナル脚本で書いた復讐劇の設定が秀逸で、あの物語を限られた映画ファンしか観ないVシネマだけに終わらせるのは勿体ないと以前から思っていたんです」と語る。

黒沢監督の提案に、CINEFRANCE STUDIOSのプロデューサーもオリジナル版を観た上で「面白い!」と瞬時に反応。「監督がそこまではっきり『やりたい!』と言うからには、何かあると思ったのでしょう」と、小寺剛雄プロデューサー(以下小寺P)も強調する。「ミニマルな作品ですけれど、場所や設定を変えるだけで広がるようなポテンシャルを感じさせる。監督の演出メモにも『リメイクではなく完全版』と書かれていましたが、この数奇な復讐劇をしっかりと完成させたいという黒沢監督の強い思いがフランス側にも伝わったんだと思います」

オリジナル版との大きな違いは、舞台が東京からフランスのパリに、主人公が男性の教師から女性の心療内科医に変わっているところだ。黒沢監督は「脚本の初期の段階から主人公を日本人の女性にしたいと思っていましたが、深い考えがあってのことではないです。『ダゲレオタイプの女』(16)を以前フランスの俳優たちで撮ったので、あのときとは違う経験をしたくて、そうしたような気がします」とつけ加える。「ただ、僕自身分析はできていませんが、結果的に、フランス人の男性たちの中に日本人の女性がひとりいるという構図になったことで、一見弱々しく見える彼女が実は全てをコントロールしているのではないか、という雰囲気が強くなったような気がします」
柴咲コウが鋭い眼差しのミステリアスなヒロインに
主人公の心療内科医・新島小夜子に、黒沢監督たっての希望でキャスティングされたのが柴咲コウだ。「彼女はあの目つきがいいですよね。あの目で見つめられただけで、男性はあらぬ方向へと誘導されてしまう気がする。全編フランス語のセリフなので引き受けてくれるか心配だったんですが、一か八か声をかけさせてもらったら、『だからこそやりたい!』と快諾していただけたんです」と黒沢監督。その言葉を受けるように、柴咲が「『なぜ私なんでしょう?』と監督に最初に聞いた覚えがあります(笑)」と振り返る。「20代、30代の私は特に“動き”のある役が多かったので、小夜子のようにミステリアスで物静かな役でのオファーが意外だったんです。ただ、何を考えているのか分からない小夜子を、物語の進行とともに垣間見られる彼女の本心の見せ方を考えながら、観客を最後まで引きつけられるキャラクターにしていくことに次第に興味が湧いてきて。フランス語に挑戦できることにも喜びを感じたので、出演させていただきました」
日仏の演技派俳優たちが黒沢清ワールドに集結
ジャーナリストのアルベール・バシュレに扮したダミアン・ボナールは、『レ・ミゼラブル』(19)の彼を見た黒沢監督が「この俳優、面白いなと思って」とオファー。すぐに「やりたい!」というリアクションがあったようだが、自らの勘を信じた黒沢監督の狙いは的中。「彼は情緒不安定なアルベールになりきるため、撮影中はなるべく眠らないという自らのアプローチを徹底させていたし、共演相手へのリスペクトを忘れない。柴咲さんの役が如何に大変なのかも分かっているので、彼女を気遣い、ホン(台本)読みにも何度も付き合っていた。ふたりの関係性がいい化学反応を起こしていると思います」(小寺P)。柴咲は、「私がフランス語のセリフに不安を抱えていたので、たくさんお付き合いしてもらいました。優しくて、包容力のあるボナールは快く引き受けてくれて。フランス語と日本語のセッションにもなり、ひとつひとつのセリフや動きについてお互いの意識のすり合わせができたのはよかったです」

ミナール財団の元会計係ティボー・ラヴァルに扮したマチュー・アマルリックに至っては、黒沢監督が本人に自ら出演交渉をした。「マチューが『彼女のいない部屋』(21)のプロモーションで来日したときに直接お願いしたんです。『どんな役なんだ?』って聞くから、『とんでもなく悪い奴で、殺される役だ』って言ったら、『それはやりたい。そういう、最初に殺される役をやりたかったんだ』って気軽に友だち感覚で引き受けてくれました」と黒沢監督は悪戯な笑みを浮かべる。「ただ、撮影が実際に始まると、『すぐ死ぬと思っていたのに、けっこう長く生きているんだね』ってこぼすから、『いやいや、けっこう最後の方まで出演してもらいます。死んでもまだ死体として出てきますからね』って説明したんです(笑)」

小夜子の患者・吉村に扮した西島秀俊について、「以前からの付き合いで、スケジュールを空けてくれて、1日だけのパリの病院での撮影にかけつけてくれました」と黒沢監督。小夜子の夫・宗一郎を演じた青木崇高との奇跡的な縁についても述懐する。青木は黒沢監督の『旅のおわり世界のはじまり』(19)のウズベキスタンの撮影現場を訪ねたことがあり、黒沢監督は宗一郎役を考えたときに真っ先に青木を思い浮かべたという。「けれど調整が難しく、フランス在住の日本人俳優にお願いすることになったんです。ところが、その俳優が撮影直前に東京に戻ってしまって。彼を日本から呼び戻すというので、「だったら、青木さんに来てもらえばいいじゃないですか』と僕が口を挟んだんです。撮影数日前に連絡してもらったら、何とか調整してくれて、撮影前日にひとりでひょいとやって来てくれました。本当に助かりました」
ハイレベルな芝居がフランス人のスタッフを魅了
撮影は2023年4月中旬からパリとその近郊で5週間に渡って行われた。クランクインの最初の撮影は、吉村が小夜子の診察を受けるシーンだ。「黒沢監督は『フランス映画なのに、初日は日本語か~』って冗談っぽく言っていましたが、『ドライブ・マイ・カー』(21)が話題になった直後だったので、西島さんが現場に現れると、フランス人スタッフの間にどよめきが起きて。普段は穏やかな彼がカメラが回るとぶっきらぼうで、エキセントリックな吉村に変わり、程よい緊張感がありました。日本語のシーンとはいえ、あの一連のシーンでみんなが現場の空気を掴むことができたと思います」(小寺P)。柴咲も振り返る。

「吉村によって小夜子のキャラクターも浮き彫りになる部分がありますよね。疑心暗鬼になって、周りの人間が全て敵に見える彼と、白衣を着て、優しい口調で冷静に対処する小夜子。そんな相容れないものを纏ったふたりを、良い距離感で表現できたような気がします」小夜子を演じた柴咲コウの渾身の芝居も、監督や現地のスタッフの想像を超えるものだった。柴咲は日本にいるときからフランス語の指導を受け、現地でも、撮影に入ってからもレッスンを続けていたというが、「最初のホン読みのときに、彼女のフランス語のセリフを聞いたスタッフの顔が“お!”という驚きに変わりました」と小寺Pは興奮気味に語る。「小夜子が喋るのはネイティブの人が話す完璧なフランス語ではなくて、フランスに移住して10年ほど経った日本人が話すようなフランス語でなければならなかったんですが、それを完璧に習得していましたからね。200以上セリフがありましたが、NGはほとんどなくて」。

柴咲はフランス語だけではなく、パリ滞在中の2ヶ月間はマルシェに行って店員と会話をしたり、東京と同じように自転車を乗り回し、小夜子の日常を身体に自然に馴染ませていった。「普段から体幹を鍛えられているので身体能力も抜群」(小寺P)。黒沢監督も驚きを口にする。「実は、柴咲さんがアクションをどこまでできるのか正直分からなかったんです。でも、やってみたらスゴくて。相手を押さえ込んだり、物を投げる動きが動物のように俊敏で、獰猛な感じがする。それこそ、車に乗って発車させるまでの速さは映画史上最速です(笑)。シートベルトを締めてからエンジンをかけ、ギアを入れて出発する動作は、誰がやっても時間がかかるんです。ハリウッド映画でも編集で大抵ごまかしているんですが、柴咲さんはとても速く、ワンカットで撮ることができたんです」 。「それでいて、休憩時間中はみんなと一緒に食堂でご飯を食べ、談笑される。フランス人キャストやスタッフも彼女を尊敬の眼差しで見ていたと思います」(小寺P)

小夜子の夫・宗一郎に扮した青木崇高については、「脚本の段階から、『表情だけでこの難しいニュアンスを伝えられる俳優がいるのか?』と感じていたスタッフもいたはず。でも、『なあ、小夜子…』と言った後の青木さんの表情がス~っと変わっていくのを見た瞬間、モニター前のスタッフからは『ウワ~』と唸り声」(小寺P)。柴咲は「監督が敢えてそうされたのでしょうが、青木さんが同じパリでの撮影に参加されていたので安心感がありました。たった1日だけの撮影でしたが、夫婦として一緒にいた空気を私たちは当然作り出さなければいけなくて。青木さんはそれをつかみ取るのがお上手だったので、私も小夜子としてそこに乗っからせていただいたところがあります (笑)」

リスペクトと奇跡に溢れた黒沢清監督の撮影現場
黒沢監督の現場はいつもスピーディに撮影が進んでいくが、舞台をフランスに移しても変わらない。俳優にそのシーンの動きだけを説明し、細かい心情や芝居に関する演出をしないのもいつも通りだ。黒沢組初参加の主演の柴咲は、「クランクイン前に監督にいろいろ質問してしまったのですが、浅はかだったなと。言葉にならないものを画で伝えるのが映画ですし、その複雑なものを汲み取って表現するのが俳優なんだということに改めて気づかされました」。その上で「黒沢監督の映画は、生身の人間と機械的なものとのバランスが絶妙で」と、黒沢ワールドの住人に初めてなった印象を告げる。「無機質な倉庫みたいな隠れ家を引きの画で撮る一連のシーンでは、ピチョンといった水の音も機械的なものに感じるから、そこをそれぞれの思いを抱えた人間が歩くと、生々しさと硬さが相まって独特な不穏な空気になるんです」。俳優の芝居に絶大な信頼をおいている黒沢監督は、「全てのシーン、画が明確で、迷いがないんです」と小寺Pも続ける。かと言って、自分のイメージだけに凝り固まるのではなく、意見やアイディアもきちんと聞くという。

「『じゃあ1回やってみよう』、『それは面白い』と採用することも。アイディアのかぶせ合いが面白い作品を生み出すことに繋がっていったような気がします」。 黒沢監督はスタッフやキャストに「オリジナルの『蛇の道』は観ないでください」と告げ、撮影監督(アレクシ・カヴィルシーヌ)とも細かい打ち合わせはしていない。「それでも、オリジナルを踏襲したような構図のシーンになるのには驚きました。監督と撮影監督のケミストリーが起きたような気がします」(小寺P)。奇跡的瞬間が撮影中にはまだまだあった。「黒沢監督が日本語で指示を出すと、通訳を介していないのに、助監督が『分かった』と指示通りのことをすることがあって(笑)。監督は『言葉が通じなくても、分かる人はいるんですよ』と。あの瞬間は人間の繋がりの強さを感じました」と小寺P。「天気も味方をしてくれました」と柴咲が引き継ぐ。

「旅行や別の仕事で私がパリに行ったときはいつも晴れるんですが、黒沢監督の現場ではグレーと言うか、いつも曇天で、黒沢仕様の空模様だったような気がします(笑)。冒頭のシーンも雨が降って、それがピタッと止んだときに撮影したので、太陽がちょうど雲にかかって、建物や地面が暗い色合いになったんです。晴天だったらあのような雰囲気にはならなかった、天気も本当に絶妙なバランスでした。それも含めて、黒沢監督は言葉では言い表せられない、人間の複雑さ、曖昧さを表現されるのに長けた、本当に素晴らしい方だと改めて感じました」

Comment

監督:黒沢 清
26年前にオリジナル・ビデオ作品として脚本家高橋洋に書いてもらった脚本は、徹底的に復讐していく物語なのですが、これが非常によくできていて、チャンスがあればもう一度映画化したいとずっと願っていました。それがひょんなきっかけでフランス映画としてリメイクできたことは幸運という他ありません。
そして、それ以上の幸運は何と言っても柴咲コウさんの参加でしょう。本当に素晴らしい女優でした。彼女の鋭く妖しい眼差しと、野獣のような身のこなしが、この映画をオリジナル版にもましてミステリアスで深みのある作品に格上げしてくれました。
新島小夜子役/柴咲コウ
・オファーがきた時の心境
なぜ私なのだろう?フランス語も話せないのに?と思いましたし、そのことは黒沢清監督とプロデューサーにお会いした際にお伝えしました。しかし、単純に黒沢清監督とお仕事したかったこと、それにプラスしてフランスや仏語に魅力を感じ、ずっと深く触れたかったという個人的な理由も絡み、前のめりでお引き受け致しました。
・フランスでの撮影を振り返って
フランス人スタッフ皆さんの黒沢清監督へのリスペクトが、現場の空気感や集中力に表れているなと思いました。 私自身はとにかく夢中で撮影のみに専念していました。苦労をあげればキリがありませんが、「楽しく毎日撮影する」という目標は達成できました。録音部・フランソワからダメ出しされないときには「よしっ!」とガッツポーズしてました笑
・フランス語での撮影について
撮影の半年ほど前から仏語レッスンを日本で受けました。当然台詞中心ですが、あまりに基礎的なところは飛ばすとどうにも応用が利きませんから、基礎的なところも含めつつ進行してもらいました。監督からは発音に関してはそんなに完璧は求めていないと事前に言われましたが、観客の方が聴いて違和感のないように、と撮影中も改善を努めました。 2ヶ月強の滞在中はキッチン付きのアパートを要望しました。自分で食べるものの用意ができたのと、まるで役そのもののようにフランスで生活している人として街に溶け込めた気がしたのは良かったです。
アルベール役/
ダミアン・ボナール
黒沢清監督の次回作に参加させていただけることを大変光栄に思い、また、彼が私にアルベール役を任せてくださったことにとても感動しました。この作品をご一緒できたことは私にとって非常に豊かな経験となりました。柴咲コウさんと一緒にこの冒険を経験できたこと、彼女と一緒に1000もの顔を持つこの探求に飛び込むことができたことは大きな喜びでした。復讐、痛み、狂気、幽霊、消失、祟りが入り混じる迷宮のような世界。この映画が日本で上映されるのが待ちきれませんし、皆さんと共有できるのをとても楽しみにしています。
吉村役/西島秀俊
黒沢監督と再びご一緒できたこと大変嬉しく思います。
『蛇の道』はとても好きな作品です。あの復讐の物語が再び描かれる。しかも舞台はフランスということを聞き、驚き興奮しました。
私が演じた吉村は、監督が実際に会ったことのある人物にインスパイアされて出来上がったと伺い、現場で一緒に人物像を作り上げていきました。作品をご覧になる皆様に吉村という人間がどのように映るのかとても興味があります。そして柴咲さんと再び共演し、その鋭い感性と高い集中力に引き込まれる事で、小夜子と吉村の独特の緊張感を生み出すことが出来たのではないかと感じています。
『蛇の道』は復讐の果てにはいったい何があるのかが描かれています。これまでに見たことのない物語が待っていると思います。
宗一郎役/青木崇高
緊張と狂気をはらんだ物語とは全く違って、現場の雰囲気は監督のお人柄が映し出されているような、とても温かく心地のよいものでした。
フランスの現地スタッフに敬意を払いながら、1カットずつ丁寧に撮られる姿はとても印象的でした。 主演の柴咲さんは、撮影前からしばらくフランスで生活されていたからなのでしょう、佇まいがしっかりと馴染んでいて、大変驚きました。また立ち姿がとても美しく感じました。
国内外に多くのファンを持つ黒沢清監督の作品に関われたこと、同じ日本人としてとても誇らしく思いました。
この映画を世界のより多くの方に観ていただきたいです。
プロデューサー:小寺剛雄
・映画化の経緯について
最初のきっかけは、CINEFRANCEと本作品が始まる前から何か一緒にできないかと話していたことでしたが、それとは別に黒沢監督とお話する機会があり、監督が『蛇の道』を再度映画化したいと考えており、更にはフランスで再び映画を撮りたいと思っていたことを知りました。それを仏側に伝えたところ「是非、黒沢監督に『蛇の道』をフランスで再映画化の提案をしよう」ということになり、お受け頂いたのが企画の始まりです。実際の現場は本当に素晴らしく、大げさにいえば毎日ちょっとした奇跡をみているような感覚にとらわれました。監督への尊敬と今日これから始まる撮影への期待が現場全体にあふれており、全てのスタッフとキャストがこの作品に関わっていることに誇りと喜びを感じていました。
・キャスティングについて
小夜子については、パリ在住の心療内科医という役どころに加え、何といっても全編フランスにおいてフランス語での演技が求められましたが、フランス語が話せるかということより、この難易度の高い役に時間と労力をかけてチャレンジしてくれる方にお願いしたいと思っていたところ、柴咲さんからかなり早い段階でご返事を頂き、ご一緒させて頂くことになりました。柴咲さんが撮影前の脚本の読み合わせ時にすでにかなりのレベルまでフランス語のセリフを練習してきており、初めてフランス語のセリフを言った時にフランスのスタッフから「柴咲さんのフランス語は思った以上にいいね」と言われたことを覚えています。